クソ陰キャになるまで(1)

就活で過去のことから云々ってあるのでそれの振り返りも含めて過去のエピソードを載せるだけ。自分語りです。見なくていいです。今の僕の人格を形成しているであろうエピソードが気になる方はどうぞ。


幼少時代

特に個人的に覚えていることは少ないが、幼少〜小学校時代に関しては自分のしたいこととかよりも親や友達との人間関係が今になって思うと大事だったと感じる。


小さい頃から自分は泣き虫だった。泣いてない日はなかった。マジで。口喧嘩で泣く。そのくらいメンタルや痛みに弱かった。

また今の僕にはチャレンジ精神が全くないが、これは幼少の頃から親に全て危ないことを禁止されていたためだ。どういうことと思われるかもだが例を出すとジャングルジムに登ろうとしたら怒られる的な。過保護だったんだが過保護すぎた。この頃から多分親の言われたことをするだけの子供になる方向性は決まっていたと思う。


小学校時代

低学年

幼少時代とほぼ変わらず。この時期に自分が生きる意味を考えていた。というのも家系的に鬱を持ちやすい血筋(よう知らんけど)らしいので劣等感とかが強かった。細かいエピソードはもう覚えてないけど生きる価値ないよなぁって鏡みながら考えてた記憶はある。くらい。この頃から痛い性格だった。

あとはよく父から暴力があった。別に常日頃からかと言われるとそうじゃないけど1ヶ月に3~4回とかで理不尽にキレられることが多かった。八つ当たりみたいな。ウイイレで勝って調子乗ってたらゲームコントローラー投げつけられるとか、お坊さんがお経をよみにきた時にじっと出来なくて顔面蹴られるとか。度合いはその時によるけども、ストレスを貯めて爆発するタイプ。この頃から本当に自分でなにかするってことが出来ないし人に対して気を遣うようにはしてた。何されるかわからんし。まぁ今できてるかは怪しいんやけど。兎にも角にも人のことを過度に気にするようになり、自分からアクションを起こすことが少なくなるのもここが原因かもしれない。


高学年

ある程度明るくなった。というのもサッカー少年団に入った影響がある。

小3が終わるまでにサッカーか野球どっちか選んでやれという父の命令に従ってサッカーをし始めたんだが、それによって活発的な友達ができたためだと考えられる。

だけど父はこの時もまだ厳しく、レギュラーまでは求めないものの父の上達段階と同じレベルを求められた。あの人上司は絶対向いてないわ。出来ないとめっちゃ怒られる。試合で1回反対側のベンチからめっちゃ大声で怒られたことある。恥ずかしかったし怖かったとにかく。それもありサッカー自体を正直好きになれなかった。当時の人間関係は良いと思ってたけど。

一方で小さい頃になかったリーダーシップみたいなのが一時的に芽生えた。委員会みたいなやつのリーダーとか運動会の団長もやった。数年後に陰キャになるのに小学生の時は分からんもんだ。高学年の頃はそれこそ純粋に友達と遊ぶのが楽しいとか考えていた時期のように思える。周囲って本当大事。友達は選ぶべきですね。まぁ今の僕には選ぶ選択肢がそもそもいないんですけども。。。


これ就活になんか使えるか?笑

めんどくさいのと長くなったので以降はまた書きます。

それでは。読んでいただきありがとうございました。